この作品のテーマ「地元の伝統的な製紙技術の紹介」は珍しいものではない。かつて和紙は各地で作られていたし日本文化への関心の高まりのお陰か、その映像記録もあちこちで見かけるようになった。
しかし、その多くが簡単に触れている程度なのに、この作品では伝統技術と正面から取り組み、系統的に紹介している点が違っている。原料となるコウゾやミツマタから作った紙の違いなどを説明していることも好感が持てる。また、祖原料の木の繊維に混じった木の皮を一つ一つ丁寧に取り除く作業などは感動的ですらあった。
このグループは昨年もこのコンクールに養蚕の伝統技術を紹介する作品で参加している。その伝統を発展させ「伝統技術シリーズ」を是非作っていただきたい。その際は各地の和紙の違いなどの解説も加えて頂くと他の地域の人々の関心も得られるのではなかろうか。
平文とは金粉を使う蒔絵とは違い金の板を直接使う漆芸である。
この作品は漆芸家・小松原賢次氏が平文蒔絵箱「麗」を制作する全工程を克明に描いているものである。制作工程は素地固め、加飾、布着せ、金板張など多岐に渡る。
作品は制作者自身の説明で進行していく。一つ一つの工程は複雑できわめて高度な技術を要するものであるが、その説明は分かりやすく容易に理解できる。
一つの工程が終わるごとに作品が美しく変化していくのは感動的である。制作者はこの高度の技法を独学で身に着けたという。作品は金の華やかさ、力強さが見事に表現され制作者の作品に対する思いが伝わってくる。完成した平文蒔絵箱「麗」の美しさには心が奪われる、日本の伝統芸術が見事に昇華した素晴らしい芸術作品である。
平成26年は学童集団疎開70年にあたる。宮前国民学校(現品川区立宮前小学校)の疎開体験者の証言、当時の作文・写真から、その実態に迫った作品である。
まず、集団疎開を引率された中村立之先生(写真家)の撮影した写真が数多く残されており、それをもとに取材を拡大していく手法が取られる。
そのうちの一枚「リンゴの枯れ木と少年たち」に写る彼らがインタビューに応えて疎開体験を語り始める。食料不足、あと数ヶ月戦争が続いたら、栄養失調で死んでいたという証言。 或いはシラミに取り憑かれ痒かった話。私も同じ体験をしたシラミたかりの疎開派の一人であり、進駐軍にDDTを浴びせられた世代として同じ思いをした。
短い作品ながら当時の過酷な状況を記録した素晴らしいアーカイブとなった。
明治時代、石川県の一部であった今の富山県を、分県させるために奔走した政治家・米澤紋三郎の功績を、残された資料やイラストによる解説で描いた作品。
娘の疑問に父親が答えるという親子の掛け合いで、わかりやすく物語は進んでいく。作品の冒頭、廃藩置県後、富山県が誕生するまでに幾度も他の県に編入されるプロセスが解説されるが、 これが近代国家の初期段階の試行錯誤を垣間見たような気がして、おもしろかった。
ここで用いたようなイラストを使った解説手法が何ヶ所かに見られるが、これがわかりやすく、 作品全体の理解促進に役立っており、資料写真やイメージ映像だけでは変化が少なくなりがちな画面構成に動きを与える効果も果たし、この作品の特徴のひとつになっている。
紋三郎は、地元富山の発展のために分県を訴えたが、地方自治のあり方や政治家の仕事とは何かを考えさせられるという意味で、現代に通じるテーマ性を持った作品になっている。
民俗芸能というと大抵は農事収穫を祝う舞いや無病息災を祈る祭事が多く、この映像祭でも多くの神事芸能を見てきました。今回の「鉦はり」は埼玉県入間市宮寺の「西久保観世音」の伝統行事で鉦と太鼓を打ち鳴らし念仏を唱える伝統行事です。お寺関係の行事は初めて見た気がします。
「鉦はり」は四つの鉦と太鼓と念仏が一体化したもので50-80代24人の保存会が維持しています。一見簡単に見える鉦たたきも熟練を要しますが、特に難しく感じられたのは念仏の節回しです。
様々に抑揚をつけ唱える念仏は簡単な「譜面」になっていますが時代と共に節回しが変容しているのではないかと感じました。この節回しにも様々な演目があり継続のための伝習が丹念に収録されています。 さらに東京近郊のの「鉦はり」行事も紹介されています。そういえば子供の頃は、東京下町でも鉦太鼓を打ち鳴らして街を回る行者の姿を見ましたが、そんな風景も絶えて久しくなりました。
埼玉県入間市西久保は狭山茶で知られる近郊都市。そういう所にこうした行事が残っているのも地域活動が根付いているからではないかと感じました。